あらかじめ失われたものたちへ
May 18, 2010
あらかじめ失われたものたちへ [ dance , spring ]
ゼロ年代が終わり、テン年代が始まったとしても、ここに新たな希望などあるはずもなく、失われた10 年は、失われた15 年となり、さらに20 年になろうとし、これから成人を迎える若者たちは、もはや失われた世代ですらなく、あらかじめ失われたものたちと呼ばれるだろう。
さて、「春の祭典」。春の光は凍りついた大地を解かし、雪解けの水は地表の堆積物を洗い流す。今回の舞台では、とある地方都市を背景に、2 つの家庭、彼らを取り巻く人々、外部からの訪問者が登場する。閉ざされた共同社会の価値観が崩壊し、外部から押し寄せてくる価値観に覆われていくさま。ここでは私たち全員が生け贄として選ばれている。そう、これは今私たちが暮らす日本社会の縮図でもある。
私たちを覆う閉塞状況から抜け出すには、もはや幻想でしかない過去の価値観や制度にすがるのではなく、あるいは、美辞麗句に飾られた救済思想に身をゆだねることではなく、この閉塞状況をただ見つめ、立ち向かい、新たな枠組みを模索していくほかはないのだ。
「春の祭典」は何も答えなどは用意していない。しかし、この体験が、あらかじめ失われたものたちにとって、次なる一歩を踏み出すための刺激になることを、切に願う。
劇場入りを前日に控えて
大橋可也
「春の祭典」の当日パンフレットに掲載した文章です。
作品の設定について触れていますが、これはあくまで作品作りのためのフレームです。当日パンフレットの文章を読もうとする人、つまり作品を理解するための付加情報を欲している人にとっては、作品理解のためのフレームとしても役立つと思い、掲載した次第です。作品のテーマそのものではないので、誤解なきよう、お願いします。