ダンスと社会貢献

April 1, 2006

ダンスと社会貢献 [ dance ]

僕がダンスをやっているのは、一義的には自分自身のためである。自分が満足できることが出来れば、それでよいと思う。
とはいえ、上演芸術としてのダンス作品を作り、公開するということ、および、ダンス作品を作るため人々と関わること、それは社会的活動に他ならない。さらにいえば、僕の活動に限ることなく、ダンスというものは本質的に社会の中にあり、社会の中で一定の役割を担ってきたものではないか。

そう考えると、Japan Contemporary Dance Network(JCDN)が「社会とダンスを結ぶ接着剤」であることをその設立趣旨として謳っているのは、言葉として矛盾しているといえる。ダンスと社会を切り離して考えること自体が不可能ではないのか。
# JCDNの存在意義を否定するものではないし、その活動は意味のあるものだと思うが

ダンスは社会に貢献するものでなくてはいけない、でなければ、その存在意義は無い、と思う。それは作品の内容において、社会的な意味を、社会問題を作品の主題にすべきという意味ではないが、持つべきである、ということだけではなく、その作品の成り立ち、方法、も含めて何らかの社会的意味を持つべきである、ということである。特に、「コンテンポラリー」を自認する、あるいは、そう捉えられている、作家は現代社会の問題と無自覚であって良い筈はない。

現代日本が抱える大きな問題として、若年労働者の就業に関する問題がある。若年労働者がしっかりとした職能を見につけないということは、日本という国の存亡に関わる問題であろう。
翻って、コンテンポラリーダンスを取り巻く環境を見れば、多くのダンサーたちはフリーターとして生活しているという現実がある。大橋可也&ダンサーズにしても、僕を除けば、皆アルバイト生活者だ。フリーターとしてであれ、経済的に自立しているのであれば、彼らに何らかの責がある、ということはいえないだろう。しかしながら、ダンスという環境が、若者たちが本来、職能を磨くべき貴重な時期に定職に付かない現象を、間接的に支援してしまっている、彼らに定職に付かない口実を与えてしまっていることも間違いない事実である。
ダンスが若者たちに一時的な自己満足を与えるものになってしまってはいけない。では、ダンスは、ダンスの環境は、どうあるべきか。大橋可也&ダンサーズに課せられた大きな課題の1つであると思う。

posted by Kakuya Ohashi at 2006/04/01 10:39:02 | TrackBack
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