評価基準
April 8, 2006
評価基準 [ dance ]
最近はダンスの公演を観に行くことは、ほとんどない。以前はよく行っていたが、その理由は自分の作品に役立てるための勉強であった。今でも他のダンス作品を観ることで、考えることや学ぶことも多い。しかしながら、今は勉強の時期ではないと位置づけているため、行かない。単純に時間がない、という問題もあるが。それでも、たまには、もっぱら付き合いのためだが、観に行くこともある。
最近のダンスの作品を観て思うことだが、若く、健康で、経済的にも恵まれている、と見える、男女がいかに面白い動き、かたち、キャラクターを演じたとしても、そこに何の感動があるだろう。何の芸術的、すなわち、社会的、意味があるだろう。
ダンサー、振付家が考えるべきことは措くとして、観客は何を求めてダンス作品を観るのか。いや、観るべきか。観客はダンス作品を観ることの意味を、何も考えてはいない、何の基準も持っていないと思う。もちろん、すべての観客とはいえないだろうが。
評論家、と称される人、の果たしている役割は大きいと思う。彼らが何の基準も提示できていないのではないか。彼らは面白さについての語る言葉をもてあそんでいるのだけではないか。
ダンスに限らず、芸術作品の評価の基準は、面白いか、ではなくて、意味があるか、であるべきだろう。
付け加えると、芸術作品の曖昧な意味性を見いだし、具体的な意味に結びつけることが、評する、という作業なのだ。