突破する
May 16, 2007
突破する [ dance ]
何を為そうとするにも目的や動機付けというものがあるのだが、9(nine)にももちろん目的がある。それは2つのブレークスルーだ。
1. アーティストとして
大橋可也は閉ざされたシステムの中で作品を作ってきた。これからもそうだろう。
これまでの作品中でのダンサー達は、ダンス経験の長い者もいるのだが、そのダンサーとしての特性をある意味消していきながら、参加していたと思う。
完成されたダンサー、それも自らの振付法を持つダンサー、に振付することは大橋可也の振付、作品にどのような影響を与えるのか。それが今回の挑戦である。
なおかつ、ソロであること。関係性から始めていた振付の大きな転機となるか。
東野祥子も自分のシステムで作品を作ってきた。即興セッションは数多くおこなっている彼女でも、他者の振付、演出の作品に身を委ねることはなかったそうだ。
他者の振付で、しかもソロとして踊ることは彼女にとっても大きな挑戦だろう。
2人のアーティストが自身の壁をブレークスルーすること。
2. ダンスシーンに対して
日本のダンスシーンは閉塞的だと思う。そのこと自体は必ずしも悪いことではない。観客も少なくて構わないと思う。その中身が、つまりは作品が、作家が、作家と観客の姿勢が、充実していれば。
作家も作品も使い回し、消費されて終わっているのではないか。
ダンサー、振付家ののコラボレーションもよくある。しかし、それらの多くは制作主導であり一過性かつ作家の意図が不明確なものだ。
作家が自らの意図でシーンを作らないといけない。それは僕が常に主張していることである。
ダンスシーンの構造をブレークスルーすること。