舞踏は"do"ではなく、"be"であるという。
モノになるときに、なろうとイメージするのではなく、既にそのモノなのだ。
では、その時の僕たちの意識はどこにあるのだろう。
上手い説明は聞いたことがないし、説明できない。
人類は3000年前まで「意識」を持っていなかった。意識を持つまでの文化は、神の声を右脳から聞き、それを左脳が実行する「二分心」によって成立していた、という説がある。
その真偽はともかくも意識のあり方の説明としては興味深い。
posted by Kakuya Ohashi at 2007/02/15 22:53:53
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