カルト、フレームワーク
February 16, 2007
カルト、フレームワーク [ dance ]
先週末も「超詳解!20世紀ダンス入門」に参加した。
第5回目は土方巽と暗黒舞踏についての回であった。実のところ、その回で上映された映像は既に見ているものであったし、正朔氏による実演も、ほとんど知っている語彙に基づくもので、目新しいものはなかったといえる。
# 土方の語彙が流通していること自体は興味深い
しかし、舞踏について考える機会になったと思う。以下、思ったことについて書くことにする。
会のときにも質問したことであるが、僕にとって意外と思えるのは、秘密主義といわれていた70年代の技法完成期から80年代に入り、土方自身が一般向けのワークショップを開催し、その技法を明らかにしたことである。
その変節と思える行動にはどのような意味があったのだろう。
國吉和子氏の答えは、「よく分からない」であった。
おそらく、土方自身の変化については分からないだろう。しかし、興味があるのは土方個人の問題ではなく、舞踏と社会の関係の変化である。
70年代に土方のところへ集まってきた若者達は何も求めてきたのだろうか。
舞踏を学びたいから?いや、社会からの逸脱を望んでいたのだと思う。秘密主義を目指したというより、結果として秘密主義になっていたのであり、ある種のカルトであったといっていいと思う。
暗黒舞踏では、身体をからっぽにするとか、飛び込む、という言い回しが用いられるが、その頃に暗黒舞踏を始めた若者達は、既にからっぽであり、飛び込んでいた。
舞踏と社会の関係自体が、舞踏の技法のフレームワークであったといえる。
では、80年代にその関係はどうなったのか。
これも憶測でしかないが、既に社会からの逸脱というテーマが若者達から無くなってきたと思う。それと反対に、カルトの一般化と商業化、すなわち新興宗教の隆盛や自己啓発セミナーの流行が生まれてきた。
そうなれば、もはやフレームワークは機能しない。
このことは今の僕たちにも共通する問題である。
僕たちのダンスはカルトになることも出来ない。別のあり方が必要だ。
社会との関係性をフレームワークとして捉え直し再構築していくこと。