話すこと、ダンスを取り巻く世界のこどもっぽさ
March 4, 2007
話すこと、ダンスを取り巻く世界のこどもっぽさ [ dance ]
3/2にニブロール公演「no direction」を観にいった。作品について書きたいことはない。この日の公演終了後におこなわれたアフタートークに関連したことを書く。
アフタートークって何でやるんですかね。僕がアフタートークに残った動機付けもただその疑問に尽きる。
トークの出席者である小崎哲哉氏は「こどもっぽい」という形容を何回か使った。その用法は一般的な使われ方と同じく否定的な意味合いであったと思う。
いや、君が、小崎さんが、今そこでいる状況がこどもっぽいじゃないの。君たちは砂場で遊んでいるこどもたちにしか見えないよ。
その場で何を目的としてそこに立ち、座りでもいいが、何を話すのか。君たちは何も考えていない。
その自覚すらない。
ダンスを伝えるためには作品を上演するだけでは足りないと思う。伝わらないと思う。ダンスについて話す機会も必要だと思う。
だからこそ、話すことについては慎重にならなくてはいけない。考えなくてはいけない。
不用意な会話は特定の作品、公演のみならず、すべてのダンスにとって害となる。
話す機会、それがアフタートークであるとすれば、それが作品を補完するものなのか、観客へのファンサービスなのか、明確でなくてはいけない。
その問題意識はトークの主催者、出席者もすべて明確にしていなければならない。それが分かっていない、曖昧な人は参加するべきではない。
何より、アーティストが考えよ。人任せにするな。