鈴木邦男
October 23, 2008
鈴木邦男 [ empire_paper ]
ダイアローグ×大橋可也「闘いを取り戻せ」
大橋:僕が今すごく問題意識として持っているのは自分のアイデンティティということです。僕たちの今のこの日本に生きる身体だったり、個人だったりに拘った作品を作りたいなと思っています。で、じゃあ日本人ってなんだろうって、すごく考えているんですね。たとえば、鈴木さんであればプロテスタントの教えを押し付けられたことだったり、左翼の学生運動だったり、アメリカだったりがある意味脅威だったと思うのですが…。
鈴木:そう言われれば、ただ反発していただけだったね。あまり自分がないというか。
大橋:いやだけど、自分というのは自分だけで存在しているのではなくて、やはり人がいて、応答があって成り立つものだと思うんです。鈴木さんの場合、そのような大きな力やものに対しての反発が鈴木さんのアイデンティティになっていて確立させたと思うんです。で、僕たちにはそういう大きな力というものがなかったのかな、だから自分というものを確立するのにすごく苦労したのかなという気がしているんです。
鈴木:そうか、なるほどな。そういうほうが大変だったのかもね。
大橋:で、他者というか敵と言ってもいいと思うんですが、鈴木さんにとって、それらはどういう存在だったんですか?また現在において敵というものを考えるとすると何ですか?
鈴木:学生のときは敵というものが明確にありましたね。「この日本を壊す奴らが赦せない、革命するやつが赦せない」と。それだけ敵が強大だったし、また敵が怖かったですね。ただ合気道やったり柔道やったりして、肉体を意識することによって、まあ負けたら負けたでよいというような、どこか吹っ切れたところがあります。結果的に敵だったり、かつて敵だった人間と話せるような状況になったし、そういう意味では敵が見えなくなってきたところがあります。むしろ自分自身が敵になりますね。だから、過去の自分と戦っているのかもしれないし、未来の自分と戦っているのかもしれませんね。そんなことを最近感じます。
大橋:なるほど、ここで時代の流れについてお聞きしたいのですが、最近、少しずつ変わってきたとはいえ、いまの時代は政治的な運動が一時期に比べるとずっと減ってしまっていて、それと同時に身体が表に出るというようなことも減ってきてしまっているのではないかなと思っていて、段々みんなが自分たちの安住しやすいところに閉じこもるような時代になってしまったと思うんです。そこの原因や今の問題意識というものがあればお聞きかせください。
鈴木:一番悪いのは連合赤軍事件とかで、左翼運動だけでなく社会運動そのものが信用を失ったということだと思います。
それが大きかったと思う。それをクリアできなかった。だから、みんな自分のことだけを考えるようになったんだと思います。僕は最後の学生運動も右翼の運動もああいうくだらないことがあって失敗したと思うんだけど、だけど素晴らしいところもあったと思っているんだよね。自分たちは食えなくても世の中の人たちのために頑張ろうとか、少しでもよい社会を作ろうとか、革命を起こそうとか、そういう夢とか希望とか愛とかはすべて忘れ去られて、彼らが残した悪い偏狭なセクト主義だとか排外主義ばかりが残ってきている。夢や希望など、本当は学ぶべきものは学ばないで捨て去るべきものだけ受け継いでいる。それは駄目だろうなと思います。
また僕はそういう時代を体験していない今の若者たちは可哀相だとも思います。ああいうふうに学生運動があって、右も左も有って、「解放区を作るんだ」なんて言って、みんな暴れられた。ああいう時代を体験できなかったなんて不幸ですよね。いまの時代、そういった殴り合いだとか小突き合いとか、そういった肉体を使ったものがないと、やはり溜まっちゃうと思うんです。秋葉原の容疑者の青年だって、実際自分がデモやったり、叫んだり、会社に対して労働組合なんかで文句言ったり、社長と取っ組み合いしたり、そういうことがあったら殺し合いなんてしないと思うんですよ。それがなくて、自分の中にずっと沈静しているからああいう形で突発的になってしまう。だからやはりそういう動乱の時代がもう一回必要なのかなと思います。そういう社会的な、全世界的な闘いがないのならば、自分の中で作っていくしかない。それはダンスもそうでしょうし、格闘技だって、またいろいろな社会運動もそうじゃないのかなと思います。そういう闘いの場は自分たちひとりひとりで作っていく必要があるんじゃないかなと思います。そうやって肉体を使ってヘトヘトになるまでやってみる。そういうのがないと駄目だなと思いますね。
大橋:そうですね。で、いまの時代、少しずつですが新しい社会運動的なものは生まれてきていますよね。
鈴木:雨宮処凛さんとかやっていますね。そうですね、新しい契機になるかもしれませんね。普通そういう運動をする人は全共闘をどう受け継ぐとか、全共闘をどう乗り越えるだとか、そういう次元で話をするんですよ。全共闘コンプレックスがある。でも雨宮さんは全共闘を軽々と乗り越えているんですよ。彼女たちのスローガンを見ると『平成の百姓一揆』だとか『平成のええじゃないか』だとか、つまり全共闘のもっと前の反逆の形態を持っていて、それは僕らが考えられなかったことですね。しかもただネットに「何月何日どこどこでデモをします」と書くだけで何千人と集まってくる。中にはお互いの名前も知らないで集まって付いていくものもいる。党には縛らない。それは僕らにはできなかったことです。でね、デモでも整然とデモをするのではなく、みんな踊りながらやっていましたよ。ダンスしながら。だから、そういうのやってみたら?そしたら、もっとみんなダンスが当たり前にしやすくなると思うんだよね。
大橋:そうですね。そういう可能性はあると思っているんです。
鈴木:そうすると格闘技のほうにもいけるだろうし、そういう大衆運動でもできるだろうしと思ったな。でも、やっぱりデモとかで政治性を求めちゃったりとかするとかえって限定されちゃって駄目か。
大橋:いや、そんなこともないのかなと思っているんです。それはある意味僕たちも自分たちの世界に閉じこもっていたりしたところがあると思うので、ちょっとそこは表に出るべきとこは出て、とりあえず色々な形をトライしないといけないなと思っています。
2008年9月21日 高田馬場にて
聞き手:大橋可也、江夏令奈、熊谷歩
鈴木邦男(すずきくにお):
政治批評家。1943年福島県生まれ。1967年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同大学院中退後、1974年まで産経新聞社に在籍。1972年に新右翼「一水会」を創設し、1999年まで代表を務めた。現在は同会顧問。近著に『失敗の愛国心』(理論社)、『愛国の昭和』(講談社)などがある。