大澤信亮

October 23, 2008

大澤信亮 [ empire_paper ]

ダイアローグ×大橋可也「飢えている人に伝えたい」

大橋:僕自身はいまの社会における身体の在り方に関心があって、そこにこだわった作品を作り続けてきたわけですが、いま世の中全体がすごく保守的で、自らの手で自分たちの枠を狭めてしまっているんじゃないかと思うんです。

大澤:そうですね。90年代半ば以降から、メディアが「敵を作って叩く」タイプの言説を露骨に採用する中で、若者の保守的な感性が醸成されてきた。現在は、メディアが若者の労働問題を積極的に伝えたり、若い書き手を使ったりしていますが、そこで求められるのは「怒れる若者が敵を叩く」というアングルですね。叩く対象が変わっただけです。しかし現実には、秋葉原事件の加藤智大容疑者君が犯行前にネットの掲示板に「自分はブサイクだ」、「こんな独り言誰も聞いてない」と書き込んだように、「敵を作って叩く」というより自己否定を反復する人のほうが多い。その背景には、生活の画一性という「下部構造」もあったと思います。フリーターが労働の現場で強いられるのは、たとえば工場労働などでは同じ動き、同じ作業の繰り返しで、他者とのつながりがないんです。そんな中で、趣味や感性など、あらゆるところで毎日同じ自分の繰り返しというパターンができあがってしまう。この状況下に既存の形で表現を生み出してもなかなか伝わらない。『ロスジェネ』でやりたかったのは、現代において表現行為がいかに若者に届き得るかということでした。それで僕は小説を書いたわけです。それはメディアでも多少話題になった。でも本当に読んでほしかった加藤君のような人には届いてなかった。

大橋:いまは本当に自分を責めますよね。そこで、「敵を作る」ということもひとつの手かなとは思いますが。

大澤:「運動」をどう見るかですね。僕は、生きて働いてるんだからそれについて考え、言うべきことは言っていくのは当然だという感覚を根付かせることが「運動」の一つの達成点だと思います。そこで「敵を作る」という方法がどこまで有効なのかわからない。

大橋:まずは普通に考えていること、悩んでいることを発信できるということが一番大事ってことですね。

大澤:そうですね。ただ、大橋さんの活動に絡めて言うと、現状では、ダンスや舞踏への回路がなかなかないと思うんです。僕自身が触れる機会がなかったし。日常の反復の中にダンスや舞踏が入り込むとしたら、どのようにしてだと思われますか?

大橋:自分のからだに「気づく」ことですかね。その為に工場労働者やフリーター対象のワークショップがあっていいかもしれない。

大澤:宮澤賢治の詩の中に「衝動のやうにさへ行はれる すべての農業労働を 冷く透明な解析によって その藍いろの影といっしょに 舞踏の範囲に高めよ」という言葉があります。ある動きに価値があって、別の動きには価値がないという根拠は実はよくわからない。そこを分けるものへの「冷たく透明な解析」が必要で、それを媒介にして、反復労働自体がある種芸術的な問題に繋がってるんだという「気づき」を労働者に与えられたら面白いですね。

大橋:そうですね。

大澤:それについて言うと、『明晰の鎖』を観て、秋葉原事件を想起しました。大橋さんの作品はダンサー同士の接触が少ないわけですが、時に走り回る中でぶつかりあう場面がありますね。基本は別々に個々の行為を繰り返していて、触れ合う時には、ぶつかって倒れたり、押さえつけられたり、引っ張られたり、そういう形でしか触れ合えない。それは加藤君の現実だったと思うんです。あの事件まで彼は人と優しく触れ合うことがなかったと思う。毎日毎日同じ労働を反復した果てに、人に体当たりして刺すことでしか人と繋がれなかった。

大橋:いまの身体性ってそうだと思うんです。ただそれを届けたい対象になかなか訴えられてない。まずダンスに触れる機会を増やさないとダメだというのは大前提にあります。

大澤:現代的な身体性の一つに、オタク的な身体があると思います。『凉宮ハルヒの憂鬱』のダンスを踊るなど、彼らが身体性の回路から完全に閉ざされているわけではない。

大橋:どう働きかければいいでしょう。オタクに対してもそうだし、アニメーションという表現とダンスとの関係もそうだし。ある面で「敵」ではあるのかなと思うんです。

大澤:一見、俗っぽく見えるものでも、吸収してそれを越える価値を見出すことにも意味はあると思います。オタク的な表現の中にも確実に何かがあって、いまはそれぞれに分離され、コントローラブルなものとしてただ消費者的に回転させられてしまっている面もあるけど、そのループに入り込んで、外したり繋いだりする作業にも可能性はある。「表現」が触れてこなかった場の片隅に加藤君みたいな人がいると思うし、そこにもし寄り添うならば、「敵」という視線を入れてもいい。『ロスジェネ』もすごいバッシングされるんです。表紙もこんなだし(笑)。名前も『ロスジェネ』で「世代論かよ」って。ただ、それもこれも全部引き受けた。ギャルゲーやオタク文化に触れながら、ネットで左翼や中国、韓国を叩いて「小泉自民党最高!」って言ってる人たちに届けるべきと思ったから。そしていま一万部位売れてるんです。『ロスジェネ』を出してみて思ったのは「みんな飢えてる」ってことですね。既存の表現に満足してない。

大橋:それはすごく大事で、いろんな状況へコミットしていくべきでしょうね。みんなが飢えてる状況、労働問題などにも関わっていきたい。

大澤:じゃあ是非来年の「自由と生存のメーデー」行きましょう(笑)。喋って歩くだけで繋がりができたり、見えてくるものがある。警察の対応とかね。大橋さんのダンスにある、引っ張られるような動きは、デモの時に警察が実際にやるからね。

大橋:いっそ、デモの時にパフォーマンスもやりたいですね。メーデーをターゲットに作品を作りたい。様々な歩き方を模索したり。ひとつ具体的な方法が見えました。

大澤:12月の公演もそうですが、自分たちに向けて作られてることに気づいた時、すごく注目されると思う。そこで重要なのは「露骨にやること」だと思います。楽しみにしています。

2008年9月30日 新宿にて
聞き手:大橋可也、近藤久志、熊谷歩

大澤信亮(おおさわのぶあき):
1976年生まれ。批評家。超左翼マガジン「ロスジェネ」編集委員。有限責任事業組合「フリーターズフリー」組合員。作品に『宮澤賢治の暴力』(新潮新人賞)、『柄谷行人論』(「新潮」2008年11月号)など。

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posted by Kakuya Ohashi at 2008/10/23 8:39:47 | TrackBack
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